2014/10/30

鎮扇 ③ 「猩々乱」 佐藤寛泰師

9月27日 喜多流青年能にて 「猩々乱」を披かれました 佐藤寛泰師から頂戴しました鎮扇をご紹介させていただきます。



喜多流決まりの鎮扇型「三雲」の枠の中に、青海波と菊花がはめ込まれています。

金地に白の絵柄、派手すぎず、「猩々乱」らしい素敵な扇です。

佐藤さん、誠におめでとうございました。


2014/10/28

園城寺(三井寺・第14番・滋賀県大津市園城寺町)「三井寺」

先日京都にて催された冬青能(とうせいのう・青木道喜主催)「高野物狂」の申し合わせの後、念願だった三井寺(園城寺)へ行ってまいりました。

小学校の時に、両親とともに伺ったようですが、まったく記憶がありません(笑)

京都市内から地下鉄東西線浜大津行きに乗り、浜大津にて石山坂本線に乗り換え、一つ目の「三井寺」駅下車、徒歩約10分。


琵琶湖疏水の横を通ります。



伽藍の壮大さ、建造物の見事さに圧倒されながら撮った写真は50枚以上。

その中から、能「三井寺」に関係するものなどを選んで投稿させていただきます。

金堂(国宝)



鐘楼(三井の晩鐘)

一つ撞かせていただき先祖の供養をお祈りしました

勧学院
能「頼政」の詞章の中に、「勧学院の雀は蒙求(もうぎゅう)を囀るといへり」というのがあります。

客殿(国宝)は期間限定公開ということで入れず。是非また日を合わせて伺いたいです。

閼伽井屋(重文)
三井の霊泉 
天智、天武、持統の三帝が御産湯に用いられたことから「御井寺」、すなわち「三井寺」とい名前が生まれるもととなった霊泉が今も昏々と湧き出ています。

大門(仁王門・重文)

観音堂(左)と札所伽藍

一切経蔵(重文)
八角輪蔵(一切経蔵内部)





この時期、京都市内は国内外の観光客でいっぱい。

この三井寺の広い伽藍内ですれ違った客は、100名にも満たない。

紅葉前ですが、秋の三井寺をゆっくり拝見できました。いいですね 大津。

御朱印もいただいてきました。

最近始めた「西国三十三所観音霊場」巡り。いったいいつ完結するのでしょう(笑)









最後に三井寺についての説明をHPより抜粋して書かせていただきます。

興味のある方ははお付き合いくださいませ。


三井寺について

天台寺門宗の総本山である三井寺は、正式名称を長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)と言います。

667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。
672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は、父の霊を弔うために「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、天武天皇から「園城」という勅額を賜ったことが園城寺の始まりとされています。

勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか5年で廃都となりました。

三井寺と呼ばれるようになったのは、天智・天武・持統の三帝の誕生の際に御産湯に用いられたという霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていたものを、後に智証大師円珍が当時の厳義・三部潅頂の法儀に用いたことに由来します。
現在、金堂西側にある「閼伽井屋」から湧き出でている清水が御井そのものとされています。

貞観年間(859~877)になって、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)和尚が、園城寺を天台別院として中興されてからは、東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、南都北嶺の一翼を担ってきました。
円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、正暦四年(993)、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し、天台宗は二分されました。
その後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど、幾多の法難に遭遇しましたが、智証大師への信仰に支えられた人々によって支えられ、その教法は今日に伝えられています。

三井寺の本堂、金堂には、本尊として弥勒菩薩が祀られています。「寺門伝記補録」によると、身丈三寸二分の弥勒菩薩が祀られていることがわかりますが、絶対の秘仏となっているため見る事ができません。この弥勒菩薩は天智天皇の御念持仏と伝えられています。
さらに推古天皇・聖武天皇・陽成天皇・藤原鎌足・藤原道長・行基菩薩が奉納した六躯もの弥勒菩薩がお祀りされています。
その他にも智証大師ゆかりの仏像や宝物が秘仏として大切に安置されています。

西国三十三所観音霊場巡礼の第十四番目の札所である観音堂がよく知られています。

  

2014/10/27

2014年12月の主な出演スケジュール


1~3日 文化庁派遣事業 安達原 富山県内





6日(土) 桜詠会 藤戸 矢来能楽堂 14:00~





7日(日) 観世会 葛城 観世能楽堂 11:00~





11日(木) 観世会荒磯能 大仏供養 観世能楽堂 13:00~





12日(金) 銕仙会 通小町 宝生能楽堂 18:00~





13日(土) 国立普及公演 錦木 国立能楽堂 13:00~





14日(日) 朋の会 国栖 観世能楽堂 13:00~





20日(土) 能楽の祭典 道成寺 大分 11:30~



平和市民公園能楽堂





23日(火) 横浜能楽堂 蝉丸 横浜能楽堂 14:00~

企画公演







2014年11月の主な出演スケジュール


1日(土) 明治神宮奉納能 猩々 明治神宮 15:45~





2日(日) 友枝会 蝉丸 国立能楽堂 13:00~





3日(月) 結の会 鞍馬天狗 石川県立能楽堂 17:00~





8日(土) 宝生・金剛合同演能会 小鍛冶 宝生能楽堂 14:00~





9日(日) 海の会 セルリアンタワー 11:00~



能楽堂





9日(日) 金春会 自然居士★ 国立能楽堂 15:00頃





15日(土) 長山家 三代記念能 猩々 大槻能楽堂 13:00~


姨捨★






20日(木) 玉川大学学生能 船弁慶 横浜能楽堂 18:00~





22日(土) 横浜かもんやま能 竹生島 横浜能楽堂 14:00~





23日(日) 京都観世会 唐船 京都観世会館 11:00~





24日(月) 福井宝生会 井筒 福井市福祉会館 13:00~





28日(金) 県民のための 大社 横浜能楽堂 14:00~

能を知る会 横浜







30日(日) 亀井広忠の会 井筒 矢来能楽堂 14:00~



★はワキツレ




2014/10/14

2014/10/8 義経記 半能「船弁慶」 ~藝大奏楽堂

今日は10月14日。台風一過です。

久々の休日ですので、ブログでも。

先週の8日は、上野の藝大の中にある奏楽堂にての公演。

東京藝術大学の教授、講師が中心となり、OB、学生を含めた構成で、

邦楽絵巻 静と義経を巡って 「義経記」





雅楽、日本舞踊、義太夫、筝曲、尺八、邦楽囃子、能楽、長唄。

写真2のプログラムの通り、邦楽によって「義経記」を表現したものです。

能は半能にて「船弁慶」。勿論私は武蔵坊弁慶です。わずか10分強ですが(笑)


このプログラム。当日NHKが 「にっぽんの芸能」(あの南野陽子が司会アシスタント)用に収録しておりました。

放送日が決まりましたら、ご報告します。



GP(ゲネプロ・本番同様衣装を着けてのリハーサル)と本番の間が約4時間あったので、上

野の森美術館にて 「ボストン美術館 浮世絵名品展 北斎」 へ行ってき

ました。


 
世界に誇る浮世絵師北斎。

描写の巧妙さ、斬新な構図、まさに職人です。

これらの版画が日本にないのが返す返すも残念ですが、見ていると本当に感嘆です。

ただ平日だというのに大変な数の人。

行列で1枚の絵を見るのに、1分かかる感じです。

総展示数142枚。

舞台の合間なので、初期は図録で見ることにして、冨嶽三十六景を中心に見てきました。

「神奈川沖波裏」や「凱風快晴(赤富士)」などは大変な人だかりでした。

北斎は以前MOA美術館でも見ているのですが、今回の図録は秀悦、購入しました。





  

2014/10/06

2014/9/28~30 文化庁文化芸術育成事業 ~京都府

公財法人 鎌倉能舞台(中森貫太師代表)の一員として、文化庁文化芸術育成事業での公演で、京都府の丹後丹波地方へ行ってまいりました。

9月28日が与謝野町立与謝小学校、29日は京丹後市立かぶと山小学校、30日が園部高等学校附属中学校。

前日27日夜に京都市内に入り、APAホテル京都祇園に宿泊。
翌朝8時20分にバスにて出発。与謝野町へ。

途中バスの中から能「大江山」で有名な大江山連峰を見る。
最高峰の千丈ヶ嶽は833M。


与謝小学校校庭では金木犀が秋の香りを漂わせています。


さて舞台。狂言「柿山伏」 能「安達原」


体育館に簡易能舞台を楽師自身が設営します。

普通体育館にあるステージ(舞台)は「額縁舞台」といいます。
この形式の舞台は、演者の横の動きは分かるが、前後の動きが分かりずらいという欠点があります。
能舞台はご存知のように舞台が客席にせり出して(舞台の回りを客席が囲む)おり、演者の動きや謡(セリフ)が聴き取りやすいようになっておりますので、なるべくその環境に近づけるために、このような舞台を設営します。
但し生徒数が多い場合は、ステージの上に設営するほかはありませんが・・・


終演後バスにて与謝野町の橋立ベイホテルへ。

チェックイン前に、日本三景の一つ「天の橋立」へ。
私は小学校の時、両親と行ったことがあるのですが、40年以上も前でしたので、実に懐かしかったです。


お決まりの「股のぞき」 笑 目がクラクラします。






風光明媚な所ですが、橋立近くの繁華街からはかなり遠いので、皆で夕食をした後は、ホテルでゆっくりしておりました(笑)。

部屋からは遠く天の橋立が見えます。


最終日の園部高等学校附属中学校にて公演を終え、バスにて京都駅へ。
2公演を残し、一足先に東京へ帰る失礼を詫びながら、メンバーとの別れの挨拶を終え、新幹線にて帰京。


多少疲れましたが、生徒たちの興味深々の眼つき、明るく元気な態度を見ていると、充実感でいっぱいです。

また12月に富山へ参ります。