2015/12/14

2015/12/12 加賀宝生 ☓ 京金剛



12月12日(土)は、金沢市 石川県立能楽堂にて

加賀宝生 ☓ 京金剛 ~夢の競演
金剛流 「妻戸」、宝生流 「雷電」
私は宝生流「雷電」のワキを勤めさせていただきました。

前日の悪天候には少々驚きましたが(天神様のお怒り?)、当日はお天気にも恵まれ、絶好の観能日和となりました。


宝生流「雷電」
護国の法会最終日の深夜、比叡山延暦寺座主・法性坊の僧正(ワキ)の前に、かつての愛弟子・菅原道真(前シテ)の亡霊が現れる。亡霊は前半生の師恩を謝し、冤罪で憤死した恨みを晴らすのに、気がかりなのは叡山随一の恩師の法力、たとえ勅命でも出仕してくれるなと懇願する。二度までは断ろうとの師の言葉に、仏前のザクロの実をバリバリとかみ砕き、坊の引き戸に吐きかけるや炎となって、亡霊は姿を消す(中入)。
道真の怨霊(後シテ)は、迷走する雷雲さながら、僧正を避けながら宮中で暴れ回るが、ついにはその法力に屈し、また天満大自在天神の神号授与の勅命を喜び、天空に姿を消す。

『太平記』巻十二の見える北野天神説話を脚色。能の世界でも天神物は人気があり、数々の作品が作られたが、比較的成立の新しい「雷電}が、江戸後期以後、金春流を除く諸流の正式演目となった。
しかし宝生流では、嘉永四年(1851)に前田斉泰公が、家の祖神・菅公の九百五十年遠忌を記念して後半を改作した「来殿・舞入」を流儀の異式演出に採用、明治に入りさらに「来殿」を改作の上、こちらを正式所演曲として、「雷電」の方は廃曲とした。
本曲はその復曲である。


金剛流「妻戸」
護国の法会最終日の深夜、恩師法性坊の僧正(ワキ)の住坊に現れた菅公の亡霊(前シテ)は、僧正よりの追善の弔いを喜び、孤児のわが身を育んだ養父の厚恩と、恩師の学恩とに深く謝しながら昔語りをする。ところが時平に陥れられた無念を語る内に、仏前のザクロを取ってかみ砕き妻戸に吹き掛け火炎となし、僧正が法力で消し止める隙に姿を消す(中入)。
通夜して待つ僧正の前に、天満天神となった菅公の神霊(後シテ)が現れ、神号授与の君恩を喜び舞を舞い、北野に降臨して天長地久の世を守ることを誓う。

「妻戸」は、宝生流の改作現行曲「来殿」の文言を一部改訂のうえ改名した早舞物で、坂戸金剛家最後の家元金剛右京が、自ら刊行した昭和版金剛流謡本に所収し、いっぽう旧作「雷電」を廃曲としたために、こちらか金剛流の正式演目となった。ところが「妻戸」は昭和四十六年に廃曲となり、「雷電」が再び金剛の正式演目となった。
前場の中入の段の直前までは「雷電」と同内容だが、中入の段以降が「来殿」を踏まえる。



この日の催しは、金剛と宝生とが、わざと演目を取り替えたような面白い形となりました。

「妻戸」のワキには、遥々姫路から江崎欽次朗師が来演。
坊主くらべのような公演に、お互いやりにくい感じがありましたが、記念に楽屋で写真を撮らせていただきましたので、掲載しておきます。



開演前にこの日の公演の成功と無事を祈念するため、金沢能楽会のメンバー6名で金沢神社へお詣りさせていただきました。
金沢神社の投稿もどうぞ御覧くださいませ。
  

0 件のコメント:

コメントを投稿