2014/12/23

2014/12/23 横浜能楽堂企画公演 「蝉丸」

今日は 横浜能楽堂舞台140年祭 横浜能楽堂企画公演「蝉丸」 に出演させていただきました。

明治八年 能楽の曙光



上のPOPの公演紹介文を掲載しておきます。



『明治8年。それは、明治維新の混乱により衰退していた能楽界が再起の兆しを見せ始めた時期でもある。

この年の大きな出来事として、現在の横浜能楽堂の舞台が前田斉泰邸内に造られたこと、そして一度は隠居し能楽界を離れていた宝生九郎が、梅若実の強い勧めにより舞台に復帰し、梅若舞台で実をツレに迎え「蝉丸」を舞ったことが挙げられる。

梅若実、宝生九郎、前田斉泰、この3人の奔走により、翌年の岩倉邸での行幸啓能が成功し、本格的な能楽の再興へと向かっていく。

横浜能楽堂本舞台140年の記念の年にあたる2014年、梅若実、宝生九郎、前田斉泰、彼らの功績を称え、明治8年に演じられた能「蝉丸」を再現。宝生流宗家・宝生和英が逆髪、梅若家当主・梅若玄祥が蝉丸を演じる。

狂言は、その際併演された「狐塚」を前田家に縁の深い野村万蔵家・三宅家により上演する。』



 
当日パンフレット内の解説文(上文)は横浜能楽堂の大瀧誠之氏の文章だが、明治の能楽の危機と再興や本公演の意義を、実に的確に書かれているので、拡大してどうぞお読みくださいませ。



私の家の祖先、私の四代前の喜太郎も、前田家より禄を頂戴していた記録があります。

この公演にワキ清貫として出演させていただきましたこと、大変光栄に存じ、先祖の供養ができたような気がしております。有難うございました。

何度も勤めている「蝉丸」ですが、改めて勉強になりました。
今日の玄祥先生の謡、一生忘れません。
 








 

 

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