2012/03/16

大原 寂光院

明後日の吉浪壽晃能の会「屋島」弓流の
申し合わせの後、大原観光へ。
とっても有難い機会をいただいた吉浪さんに
感謝申し上げます。

四条河原町から京都バスに乗って、約45分。
川端通りから奥深く入ると、京都市内とはまったく違う景色に。八瀬を通り、少し開けた田園風景を楽しむうちに大原到着。

大原バスターミナルで降り、先ずは寂光院へ。
約1キロの道のりだが、途中から徐々に上り坂になる。山あいの農家の間を通る道は、とても有名な寺院へ向かう道とは思えない。




諸行無常の鐘楼

平成12年5月9日発生の火災により燃損した本堂を新しく建立した


能「大原御幸(おはらごこう)」のワキのサシ謡


かくて大原に御幸なって。
寂光院の有様を見渡せば。
露結ぶ庭の夏草茂りあいて。
青柳糸を乱しつゝ。
池の浮草波に揺られて。
錦をさらすかと疑がはる。
岸の山吹咲き乱れ八重。
立つ雲の絶え間より。
山時鳥(ほととぎす)の一声も。
君の御幸を待ち顔なり。

千年の姫小松(御神木)
本堂の火災により痛みが激しくなり、平成16年に枯死

汀の池


シテツレ法皇のサシ謡

法皇池の汀を叡覧あって。
池水に。汀の桜散り敷きて。
波の花こそ。盛りなりけれ。

四方正面の庭


寂光院は天台宗の尼寺で、山号は清香山、寺号を玉泉寺という。
推古2(594)年に、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立された。

本尊は、聖徳太子作と伝えられる六万体地蔵尊(現在も重要文化財指定)であったが、平成12年発生の火災により損傷いたため、収蔵庫に安置することとし、現在は復元された本尊が、本堂に安置されている。

初代は聖徳太子の御乳人(めのと)であった
玉照姫で、その後、代々高貴な家門の姫君らが法燈を守り続けた。

第二代の阿波内侍(あわのないし・藤原信西の息女)は、崇徳天皇の寵愛をうけた女官であったが、出家後に入寺した。建礼門院に宮中より仕え、草生では大原女のモデルとされている。

第三代の建礼門院徳子(平清盛の息女、高倉天皇の皇后、安徳天皇の国母)は文治(1185)年に入寺し、源平の戦に破れて遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔い、終生をこの地で過ごされ、閑居御所とされた。

本堂前西側の庭園は、平家物語当時のままで、心字池、千年の姫小松、苔むした石、汀の桜などがある。


私が想像していたよりは、かなり小さな庭園でした。
「大原御幸」のサシ謡は、あまり大きな声ではなく、静かに謡うべきかなと感じました。
返す返すも本堂などの焼失が
残念でなりません。




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