2012/03/17

賀茂別雷(上賀茂)神社(京都市北区上賀茂本山)「賀茂・加茂」

ホテルの側の四条高倉のバス停から京都市バスに乗り、終点の上賀茂神社前で下車。
京都でのバスの乗り方も、だいぶ解ってきた。
タクシーで行けば3000円は裕に超えるのに
バス代は220円。
これは使わない手はない。



楼門

賀茂別雷(わけいかずち)神社   

山城国一ノ宮


山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。


御祭神は 
賀茂別雷大神(かもわけいかずちのおおかみ)


御神徳は、厄除として雷(いかづち)の御神威により、厄を祓いあらゆる災難を除き給う厄除(やくよけ)明神・落雷除・電気産業の守護神として広く信仰されています。また方除として桓武天皇の御代に都が京都に遷されて以来、皇城鎮護の神、鬼門の守り神、総地主の神として崇められ、今日も建築関係等の方除祈願が多くあります。




本殿・権殿東西に並び建ち、共に流れ造の典型として国宝に指定されている。
文久3(1863)年の造替で、他の祝詞舎(のりとのや)、透廊(すいろう)等の建物は、おおむね寛永5(1628)年の再建で重要文化財に指定されている。
又、境内全域は平成6年(1994)に、「古都京都の文化財」の一つとして、ユネスコが制定する
人類共有の世界文化遺産に登録された。


境内には、8つの摂社と、16の末社がある。




賀茂祭(葵祭) 勅祭五月十五日


欽明天皇の御代(六世紀)天下風雨順ならず、庶民大いに嘆いたので、勅して占わしたところ、賀茂大神の祟り(たたり)であると判った。そこで馬に鈴をかけ走らせ祭祀を行った結果、五穀成熟して天下泰平となった。このことにより毎年国家的な行事として祭りが行われるようになった。
神前に葵を献じ、全部の社殿には葵を飾り
奉仕員全て葵を着けるので、葵祭ともいう。
五月十五日、皇室より勅使を御差遣になり
旧儀のより行われる。その行列は近衛使代を
中心に牛車、花傘、斎王代列など総勢五百名、列の長さは800メートルに及ぶ。
先ず、午前京都御所を出発、下鴨神社にて祭儀を行った後、再び行粧を整えて、賀茂川の堤を北上し、午後当社に到着。勅使の御祭文奏上、牽馬(ひきうま)、東遊、走馬等の儀が約二時間にわたり、古儀のまま行われる。
清らかな流れと、新緑の境内で行われるこの祭儀の有様は、さながら王朝絵巻の如くである。


平成26年の式年遷都(といっても建て替えるわけではなく、屋根を葺き替える)に向けて、まず本殿の廻りの社屋の屋根を葺き替える作業として、ビニールテントのようなものに覆われていたため、奥の本殿や東西の権殿は手前からは見えなかったが、特別参拝(400円)をお願いして、宮司さん自らの説明、お祓い付きで、中へ入れていただき、本殿・権殿の流れ造を拝ませていただいた。



また屋根に用いる桧皮(ひわだ)に、住所、氏名、「身体健全」とお願い事を書いて奉納させていただきました。
2000円でした。




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