さて五十を過ぎて、少々、心身の衰えを感じるようになりました。老眼で手元の細かい字は読みずらくなり、二階にあるものを取りに行こうとしている途中違う事を考えると、何を取りに来たのか忘れてしまいます。ランニングをしても足がもつれて、自分が思うようには身体が動かない。これが老いなのかと気付かされます。
「生老病死」は、いわゆる「四苦八苦」の四苦にあたるものです。仏教でいう苦は肉体的な苦痛も含みますが、広く自分の思い通りにならないことを「苦」と考えます。
誰でも分かっていることですが、病気になりたくないと思っても病魔に襲われますし、死にたくないと思っても必ず死は訪れるものです。老いや病を避けたい、その先の死を先延ばしにしたい。昨今の健康ブームは、私たちの「病死苦」への恐れのあらわれでしょうか。
「生」の苦。母親の胎内から生まれ出るときに体験する苦しみを言います。ほとんどの人はそのことを憶えていませんね。
この世に生まれたから、その後の思い通りにならない老病死の苦しみが始まった。生こそ苦の根源だとも言えるかもしれません。たとえ思い通りにならなくても、それらが避けられないものであれば、その苦と共に今の自分がある、形作っていると悟るべきでしょう。
お盆は正式には、「盂蘭盆(うらぼん)」といい、「盂蘭盆経」というお経に由来しているそうです。
お釈迦様は、「雨季の間の修行が終わる七月十五日に、食事や果物を並べ、お香や灯明で飾って、仏法僧の三宝に供養を行えば、その功徳によって、七世の父母も現在の父母も、みな苦しみから救われるであろう」とお説きになられています。
「七世の父母」とは、前世や、その前の世にも「生老病死」という苦を繰り返すなかにあって、苦を共にしながら、常に自分を大切に育んでくれた父母がいたということですね。
今の世だけではない、過去世にまで、父母への感謝の思いを広げて、これからはお盆を迎えたいと思います。
金沢市寺町 長久寺 |
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