筑紫彦山の麓の僧(ワキ)は、出家する前には息子がいたのだが、その子は七歳の春、行方不明になってしまった。以来、子供を探して全国を旅していて、今、都に着いたので、清水寺にお参りして桜花を眺めようと思う。
僧は門前の人(間狂言・アイ)に「何か面白いものはありませんか?」と聞くと、「東山雲居寺(うんごじ)の花月という若い僧(シテ)が芸達者で面白いでしょう。いつもここに来るからお待ちになるといい」と言い、僧は花月が現れるのを待つ。
門前の者は「いつものように歌を歌え」と花月を急がせると、恋の歌を謡ったり、桜を散らせる鶯を恨んで弓矢をひく真似をしたり、清水寺の謂れを曲舞(クセマイ)で舞ったりして芸達者である。
花月の芸を見ていた僧は、それが行方不明になっている我が子だと気付き、花月に自分が父親であることを告げる。父子ともに仏道にある縁であろうか、偶然の父子の再会である。
門前の者は「そういえば、お二人は瓜二つの顔立ちだ」と言い、続いて花月に鞨鼓(かっこ)を打つように言う。
花月は鞨鼓を打ちながら舞い、簓(ささら)を擦って舞う。それは父と離れ離れになった時のことを舞にしたものだった。
天狗にさらわれて、各地の山々を遍路した様子を舞ったあと、互いに仏道修行の身となっている父子は再会を喜びつつ、連れ立って帰って行くのだった。
父子再会は話の運びでしかなく、本曲の見どころは、芸達者な少年僧のシテ・花月が、様々な芸を見せるところにある。
ホンチです。
返信削除25日、金沢に帰省できれば見に行きたいと思います。