3月17日 下掛宝生流 能の会
国立能楽堂 午後2時始め
我々も「メインは、能<檀風>」です」と申し上げてはおりますが、実はこの会を始めた趣旨の1つに、下掛宝生流の謡を素謡で1曲じっくり聴いていただこうという目的があります。
下掛宝生流は三流(福王、高安、下掛宝生)あるワキ方の流儀ですが、我々は能の中で、ワキという役を勤めるだけではなく、流儀としての独立した謡本を持ち、流儀独自の謡を持っております。
江戸幕末から明治にかけて、もちろん今でも、流儀の謡を愛していただいた方々は数多くいらっしゃいます。
シテ方諸流との比較を申し上げるつもりは勿論ありません。 しかし流儀の謡が、シテの謡所でも地の謡でも、独特の謡いぶりを厳然として保持していると自負しております。
素謡「経政(つねまさ)」は約30分の小曲ですが、家元のシテ、大先輩野口師のワキ、欣哉師を地頭にしての地謡をどうぞお楽しみくださいませ。
当日会場にて、「檀風」「経政」の流儀の謡本2冊を販売いたします。
値段は忘れましたが、1500円前後でしょう。
まだ残席はございます。
シテ方とは違ったワキ方の流儀の素謡や秘曲「檀風」をご鑑賞くださいませ。
|
今日はお疲れさまでした。
返信削除檀風は大変興味深い曲でした。
シテが最後にしか登場しない曲は初めてでした。
ワキ方の現代劇のような活躍は分かりやすかったのですが、
テーマはなかなか難しいように思いました。
行政の論理や武士の情けといった社会的秩序を批判し、
私には一見身勝手に見える敵討ちでも、
その親子の情愛は、
神仏もその味方となるような自然的な善ということでしょうか。
解説にも書かれていたように、
社会の秩序に慣れた観客を納得させるのが難しい曲ですね。
ほんちさん
返信削除お返事遅くなって申し訳ありません。
この能の作者や時代は不明ですが、大昔なのは間違いありませんよね。
見る側の時代によって感じ方が違うでしょう。また能は物語の結論を決して言いませんし、お客様の自由な判断に任せています。山伏も非常に人間的な性格を持つ人物、宗教感のさほど強くない俗的な役で登場する場合が、数多くあります。しかし力は持っていたり、我々演者も時々疑問を持ちます。
でもそれが能であり、長い歴史を生き抜いてきた要因でしょう。確かに今の時代にそぐわない曲もあるようには感じます。
返信ありがとうございます。
返信削除作者の創作動機や曲への思い、
演者の曲の解釈や伝える技、
(流儀というのもありますね)
観客の時代や地域の違いによる受け取り方、
これらがいろいろ混ざり合うことによるおもしろみもあるのだと思います。
これからも時々見に行きます。