3日(日) | 観能の夕べ | 井筒 | 石川県立能楽堂 | 17:00~ |
15日(木) | 相模薪能 | 国栖 | 寒川神社 | 18:30~ |
石橋(半能) | ||||
22日(木) | 遊行寺薪能 | 半蔀 | 遊行寺 | 16:40~ |
小鍛冶 | ||||
25日(日) | 高岡薪能 | 通小町 | 高岡山・瑞龍寺境内 | 17:45~ |
2019/07/24
2019年8月の主な出演
2019/07/13
杜若 替え道行
令和元年6月23日(日)に催されました喜多流自主公演は、岩船、杜若、熊坂という番組でした。
杜若と熊坂のワキが両方し下掛宝生流で勤めますと、道行の謡がほとんど似てしまうので、当流では「杜若」の方を替えで謡います。
ちなみに杜若の常の道行は
「夕べ夕べの仮枕。宿はあまたに変われども。同じ浮き寝の美濃尾張。三河の国に着きにけり」
熊坂の道行は
「夕べ夕べの仮枕。宿はあまたに変われども。同じ浮き寝の美濃の国。青野が原に着きにけり」
似てますよね!
そこで杜若の道行をこのように変えます。
「短夜(みじかよ)の月の都を立ち出でて。逢坂越えて湖の瀬田の長橋うち渡り。野路篠原の草枕。知らぬは人の美濃尾張。三河の国に着きにけり」
「美濃尾張」と「身の終わり」をかけています。
ちょっと素敵でしょ。
福王流は杜若に替えはなく、熊坂をかえるようです。
尚当日は主催者側からの要望もあり、常の着流し僧姿ではなく、素襖上下の旅人姿で勤めました。出で立ちが変わるとセリフも若干変えるところが出てきます。お気づきでしたか?
写真の撮影は能楽写真家協会会員の山口宏子氏。シテは香川靖嗣師です。
写真は著作権などの関係により無断転載はお断り申し上げます。
杜若と熊坂のワキが両方し下掛宝生流で勤めますと、道行の謡がほとんど似てしまうので、当流では「杜若」の方を替えで謡います。
ちなみに杜若の常の道行は
「夕べ夕べの仮枕。宿はあまたに変われども。同じ浮き寝の美濃尾張。三河の国に着きにけり」
熊坂の道行は
「夕べ夕べの仮枕。宿はあまたに変われども。同じ浮き寝の美濃の国。青野が原に着きにけり」
似てますよね!
そこで杜若の道行をこのように変えます。
「短夜(みじかよ)の月の都を立ち出でて。逢坂越えて湖の瀬田の長橋うち渡り。野路篠原の草枕。知らぬは人の美濃尾張。三河の国に着きにけり」
「美濃尾張」と「身の終わり」をかけています。
ちょっと素敵でしょ。
福王流は杜若に替えはなく、熊坂をかえるようです。
尚当日は主催者側からの要望もあり、常の着流し僧姿ではなく、素襖上下の旅人姿で勤めました。出で立ちが変わるとセリフも若干変えるところが出てきます。お気づきでしたか?
写真の撮影は能楽写真家協会会員の山口宏子氏。シテは香川靖嗣師です。
写真は著作権などの関係により無断転載はお断り申し上げます。
2019/07/02
令和元年 夏の観能の夕べ
今年も恒例の「観能の夕べ」が始まります。
7/6 ~ 8/31 の毎週土曜日 17時開演。場所は石川県立能楽堂
です。
私は7/31の特別公演「殺生石」と8/3の「井筒」に出演させていただきます。
夏の夕べのひととき、能楽を観てお過ごしくださいませ。
チケットのお求めは、石川県立能楽堂、石川県立音楽堂チケットボックス(076-232-8632)、金沢能楽美術館(076-220-2790)、香林坊大和プレイガイド(076-220-1332)
e+(イープラス) http://aplus.jp
2019/07/01
殿田謙吉としての営み ~はじめに
この度新しいラベルを作りました。
「殿田謙吉としての営み」です。
私の本名が殿田ではない事を既にご存じの方は随分いらっしゃるかと思います。
祖父殿田源二は、殿田家の次男で能楽師をしておりました。
〇〇家へ養子に入ったので本名は〇〇源二ですが、殿田家長男の良作(郷土史家)が能楽師を継いでいなかったため、祖父源二は本名はそのまま、殿田源二を芸名として舞台を勤めておりました。
以来、父保輔、私ともに、殿田を芸名として舞台を勤めております。
苗字を伏せさせていただく事、どうかお許しくださいませ。
今後能楽師・殿田謙吉としての能楽に関する発信(公演スケジュール、公演情報は別)は、このラベルで書かせていただきます。
昨年の大病後の体調もかなり戻ってきました。
病院の先生方には大変お世話になりました。改めて御礼申し上げます。
今後も体調には充分注意をしつつ、研鑽を重ね、舞台を勤めてまいりたいと思います。
何とぞ宜しくお願い申し上げます。
「殿田謙吉としての営み」です。
私の本名が殿田ではない事を既にご存じの方は随分いらっしゃるかと思います。
祖父殿田源二は、殿田家の次男で能楽師をしておりました。
〇〇家へ養子に入ったので本名は〇〇源二ですが、殿田家長男の良作(郷土史家)が能楽師を継いでいなかったため、祖父源二は本名はそのまま、殿田源二を芸名として舞台を勤めておりました。
以来、父保輔、私ともに、殿田を芸名として舞台を勤めております。
苗字を伏せさせていただく事、どうかお許しくださいませ。
今後能楽師・殿田謙吉としての能楽に関する発信(公演スケジュール、公演情報は別)は、このラベルで書かせていただきます。
昨年の大病後の体調もかなり戻ってきました。
病院の先生方には大変お世話になりました。改めて御礼申し上げます。
今後も体調には充分注意をしつつ、研鑽を重ね、舞台を勤めてまいりたいと思います。
何とぞ宜しくお願い申し上げます。
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平成29年10月29日 永島充の会 「鉢木」 撮影・駒井壮介 |
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